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土の宿の設立まで | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1980年代、木村浩子が友人とウルル(エアーズ・ロック)へ向かう途中、アデレードに立ち寄りました。列車の待ち時間の間、時間つぶしにアデレード市内の公園で休んでいました。彼女たちが腰をかけたベンチには大きな文字で「Japs, Go Home」と落書きされていました。当時、多くの日本人はお金で多くの土地を買い、自然を壊していました。その様な行為に、オーストラリアの人たちは憤りを感じ、また、彼女も心を痛めました。 しかし、日本人の中にもピュアにオーストラリアを愛する人、自然を愛する人、沢山の良い日本人がいることを知ってもらっていないことに悲しみを感じました。と同時に、よき日本の文化、人を分かってもらわなければ、という思いが彼女の心に起こりました。 それから、数年後、また、アデレードに彼女はやって来ました。土の宿を建てるために。多くの友人、協力者のもと、土の宿は完成しました。 しかし、事はそんなに上手く進みませんでした。彼女が永住権を申請した時、オーストラリア政府から障害者という事で拒否されました。ここでまた障害者という差別を受けるとは思っていませんでした。 それから、約15年間、こぢんまりと彼女の知人を中心に利用されていました。 その間、彼女はシドニーやアデレードで数々の個展を開きました。その中で、彼女の夢の実現に協力してくれる良き理解者に多く出会うことができました。 そして、友人や協力者の努力のお陰で、ついに2004年、公式オープンすることができました。 マックス・ジェリー氏ご夫妻を始め、多くの人々の多大なるご協力に感謝しています。 |
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